あせらず「しつけ」

「当たり前」ができない

「当たり前」ができない
 「好きなことは一生懸命やるが、いやなことは絶対にしない」
 「口は達者だが食事や着替えがひとりではできない」
 「入学直前というのに椅子に座っていられない」

 最近、特にそうした子どもが目に付く。
 身の回りのこと(食事、トイレ、着脱衣、片づけ、あいさつなど)をする、必要最小限のきまりを守る、このふたつは、当たり前の基本的な生活習慣である。そして、このような基本的なことは、幼児期に身につけなければならないことである。それなのにわが国では、「基本的生活習慣を身につけ自らの意思と社会規範を守る態度を育てること」が中学校学習指導要領の第一の目標に挙げられている。ここにわが国の教育の悲劇があるといえないだろうか。

 これは、杉原一昭さんの著書「現代しつけ考」~なぜ当たり前ができないのか~に書かれている一節です。
この本が2000年出版であるということは、すでに12年が経過しているということになります。12年経過しても、いまだに「うんうん」と頷ける内容で、その状況にショックを感じます。

杉原さんの著書では、なぜ、このような基本的なことが中学生でもできないのかという問いに、「幼少期にしつけがきちんとされていないからである」と書かれています。そしてそうなった理由としては・・「教育制度」「受験体制」「価値観の多様化」「生きがいの喪失」「大人社会の反映」それらすべてが関係しているのであろうとまとめています。

 ひとりふたりではないのです。全体的な傾向として、当たり前のことが出来ない子どもが増え続けているのです。

 これまでに書いた内容と矛盾しているのではないかと感じる方がいると思いますが、そうではないのです。
社会生活を営むために「当たり前のことができるようになる」ことは必要なことなのです。しかし、それが「しつけの暴走」という形になってしまうと、子ども達の心が壊れてしまうのです。

「いい塩梅」

「当たり前」ができない

 非常に難しいようですが、ポイントはバランスではないでしょうか。
私は、「いい塩梅」ということばが好きです。(若い方は使わないかもしれませんね。)

「あんばい」とは、具合・加減・程度のことと言われています。もともと、塩梅とは、「塩と梅酢を合わせた調味料を現していたようですが、その味加減が良いものを「塩梅」と言うようになったそうです。塩が多くても酢が多くても、おいしくはなりません。その「塩梅」が難しい・・料理のプロがいい「塩梅」の料理を作ることはできるでしょう。しかし、子育てのプロはなかなかいません。

 長年保育を仕事としている保育士であっても、たぶん、悩みながら保育をしていることでしょう。そう考えると、初めて子どもを産んだ親御さんにとって、苦難の連続かもしれません。
だからこそ「完璧なおかあさん」や「完璧なおとうさん」を目指す必要はないのです。みんな子どもを産んで初めて親になるのですから・・

 ここで言う「いい塩梅」というのは・・間違えないようにするのではなく、「間違えたら方法を変える」「間違えたらやり直す」ということを繰り返すことによって、「いい塩梅」をみつけていくことだと捉えてください。もうひとつ「間違えたら謝る」というのも付け加えたいと思います。

間違えてもいいのです。そういう親御さんをみて、子どもは「間違えてもいいんだ」「間違えたらやり直せばいいんだ」ということを学ぶでしょう。完璧な(または完璧を目指す)指導者の元では、子ども達は「失敗をいけないもの」だと思い込むかもしれません。
その結果、常に失敗を恐れ、失敗を隠し、失敗しないようにびくびく過ごす生活が待っています。

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