親になる前に 〜児童虐待の要因と解決策について

はじめに1

児童虐待は本当に増加しているのでしょうか。

児童相談所での相談対応件数が平成25年のデータでは73802件と平成11年の6.3倍となっています。
児童虐待の相談対応件数は確かに増加しています。でも、虐待に対する意識が高まった結果、相談と通告の件数が増えただけで、実際には増えていないという説もあります。
ちなみに、この7月1日からは児童相談所全国共通ダイヤルが三桁化(「189」いちはやく)になり、さらに相談・通告が増加することも予測されています。『受け入れ態勢が整っていないのに、どうするの!!!』という状態だそうですが、相談・通告しやすくなること自体は前進ととらえるべきでしょう。

実際に虐待が増加しているかどうか、身体的虐待(体罰・暴力行為)に限って話を進めます。

昔むかし、私が幼い頃・・・

(昭和37年生まれですので、その後あたりとお考え下さい)は親が子を躾けるとき、体罰は今よりもはるかに抵抗なく行われていたように思います。
また学校において私が生徒であった時にも、教員となって働き出した時(昭和60年頃)にも、平気で体罰は行われていました。世間一般に体罰は容認されていたわけです。
ところが、私が教員になった頃と時を同じくして、体罰の否定論が教員向けの著書『ザ・中学教師』(プロ教師の会著)が発行されてヒットしました。その中で体罰は教育にとって不必要であることなどが説かれていて、非常に新鮮な気持ちで読んだことが思い出されます。
時至って現在。体罰・・・と言っても、悪さをする生徒の頭を冗談まじりで、パチっと叩いただけで、懲戒処分となる昨今。そういった風潮が影響したのでしょうか、家庭での体罰に対しても、否定的に捉えられるようになっています。
体罰・暴力行為が一般的ではなくなり、特殊な事例であるからこそ、それが目立って、マスコミなどで大きく取り上げられることになるのではとも考えられます。

と言っても、体罰・暴力行為は特殊な人たちがするもの、というわけでもありません。誰しも加害者に成り得ることです。
普段はやさしいお母さんが、スーパーで子どもが駄々をこねた。そこへたまたま友人と居合わせて気まずかった。そんなこんなでイライラして家に帰り、子どもを叱りながら思わずパチッ、と叩いてしまった。そこへ姑が突然家に来て、あれやこれやと文句を言う。子どもは『お母さんに叩かれた』と姑に言う。姑は鬼の首を取ったかのように『そう!かわいそうに。子どもを叩くなんて、ダメなお母さんねえ』と。姑が帰ったあと『おばあちゃんがそんなに好きなら、出ていきなさい!!』と言いながら殴り続ける・・・。ということなど、ある話ではないでしょうか。

特殊な理解不能な虐待は目につくようになっています。

例えば子どもがおもらししたから、と洗濯機に入れて回したとか、子どもが言うこと聞かないからとゴミ袋に入れて窒息死させたとか、生後16日の赤ちゃんを泣き声がうるさいからと、ゴミ箱に入れ、窒息死させた夫婦とか・・・・。
“了解不能な虐待”と、山梨県立大学の西澤哲氏は表現しています。斉藤学氏は“ペット虐待”と表現しています。
いずれにしても理解不能な、普通に考えればしないようなことをしてしまう。“こんなことをすればどうなるか”、ということが予測できないという親は確実に増えているでしょう。
生活体験の貧弱さが、背景にあるのでしょうか。

大阪の西区のマンションに2児を置き去りにし、途中に一度帰宅し、『死にかけている・・・』と自覚しながら、再び彼氏のところに向かい、次に帰宅したのは、警察の取り調べ・・・という事件は、皆さんの記憶にもまだまだ残っていることでしょう。母親は『死ぬことは分かっていたけれども、自分には、もう育てることが無理と思って、そのままにした』というような内容を事件直後に言っている。これなどはまさに“了解不能”です。
この母親はブログに“子どもと今日はどこに行った、今日こんな服を買った”など、ごく普通の母親がするようなことを載せています。『ごく普通の母親のように見えたのに。』と同じマンションの住人も言っています。一所懸命、孤独な状況にありながら、頑張って子育てしようという意識がうかがえます。ところが、糸が切れたように、子どもを殺してしまう。状況がさせた行為でしょうか。後に週刊誌等でその母親も両親から虐待されていた・・・・云々とありましたが・・・・。
こういった極端な例は増えているように思えます。

いずれにしても、単に『子どもを叩いたらダメ』と生徒に教えただけでは、虐待は止められないと感じています。

▲ ページTOPへ